俺たちは真空の宇宙に浮いた。
12秒で見たものは……
新宿東口、交番前で梅のおにぎりを見て笑う陽子さんだった。
〇文字数:約4800文字
〇推定時間:20~30分
〇登場人物:1:1
湊(みなと):28歳。男。ベーシスト。ちょっと甘えたな性格。
陽子:38歳。女。主婦。旦那も不倫中で割り切った関係。元夢追い人。
〇その他 0⇒ト書き
読み:真空の宇宙(しんくうのうちゅう)ですが、ソラと読む方がいいなぁと感じた場合そう読んでいただいても構いません。
陽子⇒2回の「面倒くさい」に愛込めてあげてください。じゃれ合ってる面倒くさいであって、貶しの面倒くさいではないです。
湊⇒最後の「陽子さんだった」に哀しみ、嬉しみ、安堵など様々な感情詰め込めてもらえたら嬉しいです。
落下秒数は体感なので、深く考えてはいけません!!落ちる時ってきっとゆっくりになるよね!!!!!!
作者解釈というか、いただいた質問まとめました。橋はどこをイメージしてるのかとか、陽子の気持ちとか、興味あればどうぞ
真空の宇宙/筆先ちひろ
湊M:「ねぇ、陽子さんさー、……一緒に死んでって言ったら死んでくれる?」
湊M:ちょっとした冗談に織り交ぜた、本気。
湊M:何言ってんだって笑い飛ばされると思ったのに、陽子さんは「いいよ」って寂しく笑った。
湊M:きっとそういうところに惹かれたんだ。鏡越しの自分のようで。
湊M:十八歳の自分が今の自分を見たら何と言うだろうか。
湊M:まさか二十八の自分が三十八の女、しかも人妻にべた惚れしているなど、想像もしないだろう。
湊M:これは俺と陽子さんが生きた、その証。
0:間。
0: 鉄橋近くの山奥。夏の夜。
0: 湊、陽子、共に車中。
陽子:最初はぐー、じゃんけん
陽子:ぽん!
湊:ぽん!
陽子:あー負けた……。
湊:やりー。じゃぁ俺焼きタラコいただきー!
陽子M:ガサガサと、無機質な音が鳴るコンビニのビニール袋を漁る指。
陽子M:細くてすらっとしていて、それでいて角ばっていて。私は湊君のその指が好きだ。
陽子M:安いコンビニおにぎり。
陽子M:でも今まで食べたどんな高級ディナーよりも、それは美味しかった。
陽子:あーぁ、焼きタラコ2個買ってくればよかった。
湊:そんなに食べたい?
陽子:うん。
湊:半分食べる?
陽子:やだ。
湊:やだって……。
陽子:だって口付けたじゃん。
湊:はぁ?
陽子:いやいや、そういうことじゃなくって。新品が食べたいのー。
湊:ふーん。
陽子M:真っ暗な車内を煌々(こうこう)と照らすカーナビ。
陽子M:鉄橋のほとり。そこに車を停めて、きっと最期になるであろうおにぎりを食べた。
陽子:ねーちょっと蒸し蒸ししない?
湊:窓開ける?
陽子:んー開けたら虫入ってきそう。
湊:確かに……。エアコンちょっと付けようか。
陽子:あとラジオも。
湊:やだ。俺、陽子さんの声だけ耳に入れてたい。
陽子:はぁ? どこでそんなの覚えてきたの?
湊:覚えてきたって……元々俺はロマンチストなの。知ってるでしょ。
陽子:知らない。
湊:はぁ?……今日機嫌悪い?
陽子:いんやー、割と上機嫌。
陽子:今になって声褒めてくれるのなんて湊君くらいなもんだよ。
湊:すぐそうやって自分の事卑下する……。
陽子:それはお互い様でしょ?
湊:まぁ確かに……。(ため息)
湊:ね、グアム楽しかった?
陽子:楽しかったよー。海真っ青だしねー。
陽子:あと、みーんな適当に生きてんの。バスの運転手とかも歌うたってるしさー。
湊:ふーん。
陽子:酒と食べ物はやっぱり日本が美味しいけどねー。
陽子:ハンバーガーとか見た目だけで全然美味しくない。
湊:ふーん。
陽子:ふーん、って聞いておいて何? その態度。
湊:んーー、ちょっとヤキモチ。
陽子:自分から聞いてきたくせに、面倒くさ……。
湊:面倒なのが取り柄なんで。
陽子:どや顔で言わないでよ。
湊:仕方ないじゃんそれが俺だし……。
湊:ね、陽子さんさ、旦那さん金持ちじゃん、海外も連れてってくれるし。
湊:世に言う幸せな主婦じゃないの?
陽子:パッと見はね~。
湊:幸せじゃないの?
陽子:幸せだったら多分湊君と一緒にいないかなぁ。
湊:ふーん。
陽子:……新宿東口、交番前。梅おにぎり。
湊:何、急に?
陽子:初めて会った時覚えてないの?
湊:いや、覚えてるけど……。
湊:新宿東口、交番前。泥酔げろげろ四十路(よそじ)女。
陽子:ちょっと! 言い方! げろげろはしてなかったでしょ!
湊:確かに。でも、げろげろしそうな勢いだったけどね。
陽子:ってか酔っ払いに差し出すなら水でしょ? 水。梅おにぎりって、思い出しても笑っちゃう。
湊:仕方ないじゃん。梅おにぎりしか持ってなかったんだから。
湊:ってかあれ、なけなしの俺の夕飯だったんですけど。
陽子:あはは。ごめんごめん。
陽子:やーでも、十個も年下の男の子に口説かれる日がくるなんて思わなかったなー。
湊:俺も十個も上の女の人口説くと思ってなかった。
陽子:後悔してない?
湊:全然、今までで一番居心地いい。
陽子:そっか。よかった。私もねー居心地いい。多分似てるんだろうね。私たち。
湊:ねぇ、……何で一緒に来てくれたの?
陽子:んー……なんでだろね?
湊:いや、俺が聞いてんだから俺に聞かないでよ。
湊:……俺のため?
陽子:それは違うかなー。
湊:即答!そういうとこほんとやだ。
陽子:うそ、好きでしょ?
湊:嫌い嫌い。陽子さん嫌い。
陽子:あはは、私はねー好きだよ。湊君さ、私に転がされてるふりして転がしてくれるでしょ?そういうとこ好き。
湊:なにそれ。
陽子:なんだろねー。……ねぇ、煙草一本ちょうだい。
湊:はい……。窓、ちょっと開けるよ? 虫入ってきても文句言わないでね。
陽子:うん。ねー、湊君はさー、なんで死にたいの?
陽子:二十八なんてまだまだこれからじゃん。私が見えてるものが見えるまで十年もあるよ。
湊:十年経っても多分陽子さんの見えてるものは見えないよ。
湊:それに十年経ったら、陽子さんはまた十年先にいるし。
陽子:って十年後四十八? あーやば、凹む。
湊:流石におばさんだね。
陽子:だねぇ。
陽子:……ベースもう弾かないの?
湊:うん、全部売った。そんで車借りて、傷心旅行代になりましたー。
陽子:うーん、これは傷心じゃなくて、心中旅行って言うんだよ。
湊:そうなの?
陽子:うん。まぁ旅行には変わりないけどね。昨日泊った温泉宿も良かった。
湊:グアムより良かった?
陽子:もちろん。眺めも良かったし、奥様! なんて言われてさー。
湊:俺も旦那様! って言われた―。すげー気分良かった。
陽子:顔めっちゃにやけてたもん。お肉もお酒も美味しかったし、……あーでも、さっき食べた梅おにぎりの方が美味しかったかなぁ。
湊:焼きタラコ食ったらもっと旨かった?
陽子:どうだろ、梅おにぎり食べる運命だったのかも。湊君との出会いも梅おにぎりだったし。
湊:運命ねー。なんかさ、努力したらどうにかなると思って無茶してきたんだけどさ。
湊:どうにもなんなかったんだよねー。
湊:やりたい事やって食ってけるのなんて一握りってよく言うけど、ほんと、その通り。
陽子:私は湊君の音好きだけどね。バリバリしてて、単純で、素直で。いい音。
湊:それ褒めてる?
陽子:褒めてる褒めてる。別にひいき目なしに、好きよ。
陽子:まぁでも、私が好きでも仕方ないもんね。
湊:言い方……。
陽子:ふふ、ごめん。
湊:……人よりちょっと出来るからさ、努力してるうちにタイミング掴めるかなって思ったんだけど、ダメだった。
湊:気が付いたらさー、周りの奴ら、課長とか、役職付いた奴もいるし、起業して超金持ちなって、六本木で踏ん反り返ってるのもいるし。
湊:んでさ、こないだ弟から結婚するって連絡もきてさ。
陽子:おー、めでたいじゃん。弟君3つ下だっけ?
湊:うん。
陽子:二十五で結婚って結構思いきりがいいね。
湊:まぁ弟はさ、俺と違って真面目に大学出て、真面目に働いてってしてるから。
湊:なーんか、なんて言うんだろうね。こういう感情。めでたいんけどさ……。
陽子:自分の事嫌になっちゃったんだ?
湊:そう。行き場なくなっちゃたんだよねー。
湊:今までさ、もう無理だ―って落ち込んで、でもまたやる気になって地べた這いずって頑張って
湊:その先でまた平凡だって叩きつけられて。
湊:やりたいことばっかやって自分の好きにしてきたはずなのに、何やってんだろって全部後悔して、惨めになって……。
湊:血反吐吐きながらやってきたのに、気付いたらさ、歳相応のもの、何もないんだよね。笑える。
陽子:……ティッシュいる?
湊:いる。
陽子:鼻かんであげようか?
湊:ちょ、やめてって!すぐ子供扱いする。
陽子:……してないよ。
湊:……。
陽子:してない。あとは?……まだあるんでしょ?
湊:うーー……俺カッコ悪い。
陽子:いいじゃん悪くても。どうせ最期だし。ね?
湊:……俺さ、金もどうしようもなくなって、親に頭下げて。それが原因で顔見たくても見に行けないし。
湊:ダッセーの。こんなはずじゃなかったのに。
湊:親父さ、いつまで夢ばっか追っかけてんだって怒鳴るんだけどさ、
湊:金渡すときに、頑張れって言うんだよ。その顔がさ、頭から離れなくて……。
湊:自分の親だから分かるんだけどさ、あの人器用じゃないから、
湊:人使うのも苦手だし、人引っ張るのも苦手だし、
湊:すげぇ嫌な思いして働いてんだろうなって、それでこんなクソ息子育ててさ。
湊:自分で遊びたいだろうに、俺なんかに金使って。
湊:ほんと笑える。ほんっと……。
0:間。
陽子:……そういうの結構分かるよ。
陽子:私さー、特別になりたかったんだよね。
陽子:歌っても何してもさ、頑張れば頑張るほど普通、平凡って言われて。
陽子:一歩歩いたら、普通って言われるの。
陽子:センスの塊みたいな奴いるじゃん?そういう奴妬んで。
陽子:なんなの、あいつ大して可愛くもないくせにって。
湊:陽子さん性格悪っ……。
陽子:湊君もあるでしょ。そういうの?
湊:うん、めっちゃある。
陽子:胸の中ぐるぐるでさー、なんていう臓器かも分かんないけど、痛いんだよねぇ。すーっごい痛いの。
陽子:具合悪るーってなって、でもまた立ってさ。一歩歩くんだけど。
陽子:そしたらそこでまた同じ。
陽子:普通って言われちゃう。
陽子:ぜーんぶやめてさ、結婚して子供できたら、特別になれるかと思ったんだー。
陽子:けど、そうじゃなかった。子供もできなかったしね。
陽子:旦那と仲悪いわけでもないけど、向こうにも女いるし。
陽子:あの人はさー、結構なんでも出来ちゃうから、
陽子:私と考えてる事全然違うんだよね。
陽子:なんかさ、顔見ただけで、「なんかあった?」って言って欲しい時ない?
湊:あー、ある……。
陽子:そういうのがね、全然噛み合わないの。
陽子:多分、お互い「普通のふるい」から落ちないように結婚したんだなーって。
陽子:そんで私は、死なないために結婚して、死なないために子供欲しいって思って……。
陽子:……私もね、弟と妹いるんだけど、どっちも結婚してて。子供もいるし、実家帰ると私だけのけ者みたいに思うんだよねぇ。
陽子:言葉にするとしょーもないんだけどさー。
陽子:なんだろね、なんか、こういうの「空しい」って言うのかね。
湊:うん……。
陽子:空しいってさ、漢字、書ける?
湊:え。分かんない。
陽子:湊君おバカだ。
湊:馬鹿じゃなかったらこんな人生送ってないでしょ。
陽子:あー面倒なのまた始まった。
湊:だから、俺は面倒なのが取り柄なの!
陽子:はいはい、いい子いい子。
湊:ちょ、も、ホントやめてって。子供じゃないんだから。
陽子:……空しいってね、「カラ」って書くんだよ。
湊:カラ?
陽子:「空(ソラ)に、ひらがなで「しい」って送り仮名付けて、それで「空しい」。
陽子:凄くない? 青い空見てさ、いい天気ーって普通は思うのに。
湊:……凄いかも。
湊:空しいって漢字作った人多分俺らと同じだね。
陽子:そうそう、私もそれ思った。
陽子:青い空みたら、なんか無性に悲しくなっちゃうんだよねー。自分何なんだろうって。
湊:うん。
陽子:きっと湊君も私も空っぽなんだろうね。
陽子:頑張って生きてるのに、望むものが手に入らなくてずーっと空っぽ。
陽子:……生きるってさ、しんどいね。
陽子:理不尽なこととかさ、自分に失望することばっかでさ。
陽子:楽なときなんて、ほとんどないんじゃないかなーって。
陽子:楽しいこともあったはずなのに。……なんで、上手く生きられないんだろうね。
0:間。
湊M:それから二人で手を繋いで、夜の鉄橋を歩いた。
湊M:山奥。照らすものは僅かな星の灯り。月もない、暗く、そして少し汗ばむような、夏の夜。
湊M:高層ビルから人が落下する速度は、時速193キロ。
湊M:地面に着くまで、12秒らしい。
湊M:流れる景色は何を映すのだろうか。走馬灯だろうか。
湊M:それとも、握った手が僅かに震えている、彼女の横顔だろうか。
0:間。
湊:ねぇ、あと十年早く出逢ってたら変わったかな?
陽子:多分変わらないよ。
湊:そう?
陽子:うん、変わらない。
湊:じゃぁ、俺が陽子さんより年上に生まれてたら変わったかな?
陽子:んーどうだろうね。変わらないんじゃないかなぁ。
湊:そう?
陽子:うん、多分、持ってるものが同じだから。
陽子:時間とか歳とかそういうのじゃないんだと思う。
湊:そっか。
陽子:うん。……ねぇ、手。離さないでね?
湊:うん。大丈夫。ずっと一緒。
0:間。
陽子M:お互いの涙をそっと拭って。それから笑った。
陽子M:あぁここは真空だ……そんなことを思った。
陽子M:吸い込む空気はそこにあるのに、無音で。永遠にも近い時のようで。
湊M:俺たちは真空の宇宙に浮いた。
湊M:いつから流れていたのか分からない涙が、二人を残し、宇宙へと昇っていく。
湊M:12秒で見たものは……
湊M:新宿東口、交番前で梅のおにぎりを見て笑う、陽子さんだった。