春の鎌倉が繋いだ彼女との時間は、夢か現か幻か。
雲一つない真っ青な空に、桜が舞った。
〇文字数:約5500文字
〇推定時間:20~30分
〇登場人物:1:1
鈴木颯太(そうた):35歳。売れない脚本家。言葉遣いが少々粗い。
鈴木朝美(あさみ):33歳。家事全般嫌い。合理主義。病気を患っている。
〇その他 0⇒ト書き
十月の朝顔のシリーズシナリオです。
作者解釈など以下にまとめました。興味があれば。
夢か現か幻か/筆先ちひろ
0: 季節・春。
0: 颯太、朝美。自宅。
朝美:颯太~、おーはーよ。
颯太:……。
朝美:ね~起きて。
颯太M:随分と懐かしい声を聞いた気がした。
0: 間。
朝美:んもー何時だと思ってるのー! 起きて。
颯太:んー……。
朝美:起きてってば!
颯太:んーもう少し……。
朝美:何言ってんの、もう8時だってば!
颯太:え⁈
朝美:「え⁈」じゃなくて!
颯太:レンタカー何時だっけ?
朝美:9時!
颯太:ああああ……。
朝美:「ああああ……」じゃなくて!
朝美:もー、早くシャワー浴びてきて! 早く、ほら。
颯太:あぁぁぁぁ……。
颯太M:そうだ。あの日、確か俺は寝坊をして。
0: 間。
0: 朝美、颯太、車内。
朝美:んもー、行きたいところいーっぱいあるって言ったのに~。
颯太:ごめんって。
朝美:しらすの釜めし……。
颯太:……。
朝美:小町通りのお団子。
朝美:クレープに、厚揚げに。鎌倉野菜のカレー。
颯太:全部食い物じゃん。
朝美:悪い?
颯太:いや、悪くねーです。はい。
颯太M:朝美に小言を言われながら、春の東名高速を走った。
颯太M:レンタカー独特の、キツイ芳香剤の香りを今でも覚えている。
朝美:(鼻歌)。
颯太:なに? ご機嫌?
朝美:颯太が寝坊したから不機嫌~。
颯太:えー。
朝美:うそ。遠出久しぶりだから、楽しい。
颯太M:楽しそうに景色を追う、彼女の横顔も、まだ、覚えている。
0: 間。
0: 朝美、颯太鎌倉にて。
颯太:大丈夫? 疲れてない?
朝美:平気~。
颯太:そっか。
朝美:うん。颯太こそ、運転で疲れたんじゃない?
颯太:まぁほどほどに。
朝美:えー、大丈夫?
颯太:どっかの誰かさんが車で連れてけーって言うから。
朝美:えー、どっかの誰かさんって誰だろ。
颯太:朝っぱらから起きろ起きろってうるさい誰かさん。
朝美:それは颯太が寝坊するからでしょ~。
颯太:あはは、ごめん。
朝美:(笑う)。
颯太:行きたいな~鎌倉。行きたいな~。車で行きたいな~。
朝美:えー何それ、私のマネ?
颯太:そう。似てた?
朝美:似てないよー。
颯太:あれー、おかしいな。
颯太:(咳払い)、行きたいなー鎌倉、行きたいなぁー。
朝美:もー違うって。行きたいな~鎌倉。行きたいなぁー。
颯太:行きたいなぁ~。鎌倉、行きたいなぁー。(弄るように)
朝美:バカにしてるでしょ?
颯太:(笑う)。天気よくてよかったなー。
朝美:あーもー話逸らすー。
颯太:(笑う)。
颯太M:人というのは声から忘れていくらしい。
颯太M:いずれ忘れてしまうのだろうか。この声も。
朝美:ほんとに天気よくてよかった。やっぱ日ごろの行いかな~。
颯太:俺頑張ってるもんなー。
朝美:えー私の行いがいいからでしょ~?
颯太:はぁ?
朝美:「はぁ?」って……。
朝美:今朝だって私早起きしたし、ご飯も作ったし。
颯太:あー……。
朝美:寝坊してレンタカーの時間ギリギリだったの誰のせいだろ~。
颯太:ごめんって。
朝美:まぁでも、颯太が寝坊するのも予想してたけどね。
颯太:まじで?
朝美:まじで。
朝美:あらゆる事態を想定して予定を組みました。
颯太:おぉ、デキる女っぽい。
朝美:ふふん。
颯太:さすが! 合理主義の鏡。
朝美:……それ合理主義関係なくない?
颯太:そう?
朝美:そうでしょ。
颯太:そっか。
朝美:んもー、しっかりしてよー。仮にも脚本家なんだから。
颯太:仮にもって……。
朝美:あ、間違えた。売れない脚本家だった。
颯太:うるせー(笑う)。
朝美:(笑う)
朝美:あ、ねぇねぇ、鎌倉舞台に1本書いたら?
颯太:えー。
朝美:季節は春で~……どんなのがいいかなぁ~。
颯太:いや、鎌倉つったら梅雨だろ。
朝美:えー、いいじゃん春。桜舞う鎌倉。
颯太:えー。
朝美:だってさー、こんなに綺麗だよ。
朝美:それに、売れるには人と違うことしないと。
颯太:知った風によく言う。
朝美:(笑う)。あーでも、それで売れたら、
朝美:春の鎌倉・親善大使とか、オファーきちゃうかもよ?
颯太:なんだよそれ。
朝美:一躍有名作家!
颯太:(笑う)。タイトルは?
朝美:えータイトル?
颯太:うん。
朝美:んー『四月の桜』!
颯太:ぶっ(吹き出す)。ダサ。
朝美:えー。
颯太:それ『十月の朝顔』のパクリじゃん。
朝美:自作だしパクリじゃないでしょ?
朝美:シリーズものみたいにしなよ。
颯太:やーだよ。
朝美:えー。
颯太:前言っただろ。タイトルださいって叩かれたって。
朝美:そうだっけ?
颯太:そうだよ。
颯太:しかも『四月の桜』なんて、『十月の朝顔』よりダサい。
朝美:そんなことないでしょ~?
颯太:そんなことありますー。大ありです~。
朝美:……ぷっ、変な顔。
颯太:はぁ?
朝美:……(笑う)。
颯太:(笑う)。
朝美:うわぁ、すごい。ねー、桜のアーチ!
朝美:突発できたけど、すごい良いタイミングだったね~。
朝美:平日で人も少ないし。よかったー。
颯太M:雲一つない真っ青な空に、桜が舞った。
颯太M:ツンと鼻の奥が痛むのは、来年の春、
颯太M:彼女が隣にいないことを、分かっているからだろうか。
0: 間。
朝美:うわぁ、すご……。
朝美:なんかねー、ネットで見たんだけど、
朝美:この桜のアーチ、天国みたいって書いてる人いた。
颯太:へー。
朝美:天国ってこんななのかな?
颯太:さぁ。
朝美:さぁって……。
颯太:見たことねーし。
朝美:……脚本家なんだからもっと夢膨らませてよ。
颯太:残念ながら売れない脚本家なんで。
朝美:んーもう。
颯太:……。
朝美:あ、そいえばさ、編集の早紀ちゃん。
颯太:紺野さん?
朝美:うんうん。
颯太:何、仲良くなったの?
朝美:うん。颯太最近コラム書いてるじゃん?
颯太:あぁうん。
朝美:それでちょくちょく家来るじゃない? お茶出してるうちに仲良くなった。
颯太:無理に話合わせてもらってんじゃなくて?
朝美:もーなんでそういう言い方するかなぁ~。
颯太:(笑う)。ごめん。
朝美:ってか私に気使って家来てもらってるでしょ?
颯太:病気の嫁放り出してどっか行くほど薄情じゃないんで。
朝美:んもー何その言い方。
颯太:……。
朝美:平気だよ。ずっと家いなくても。
朝美:お義母さんも気にかけてくれてるし、まだちゃんと身体動くし、物忘れも、たまにだし。
颯太:練馬の駅で泣きそうになりながら、帰り道わかんない~って電話かけてきたの誰ですか。
朝美:あ……はは。……忘れた。
颯太:都合よく忘れんなバカ。覚えてんだろーが。
朝美:(小さく笑う)。
颯太M:朝美の病気は、徐々に記憶を失っていくものだった。
颯太M:手足の自由が利かなくなり、そして、すべてを忘れてしまう。
颯太:……んで、紺野さんがどうしたの?
朝美:あ、早紀ちゃんの彼氏がね~、写真やってるんだってー。
颯太:へー。
朝美:岩倉祐樹(いわくらゆうき)。知ってる?
颯太:いや、知らない。
朝美:だよねー。私も知らなかった。あ、でもね一部では有名みたい。
颯太:ふーん。
朝美:ほら、見て。SNSも結構フォロワーいる。
颯太:え、俺よりいるじゃん。
朝美:ふふ。颯太はもっと外に向けて活動しないとねー。
颯太:はいはい、アドバイスどーも。
朝美:んもう! いつも私の話適当に聞いてるでしょ?
颯太:はぁ? 1番真面目に聞いてますけど。
朝美:ぶー。
颯太:……変な顔。(笑う)
朝美:(笑う)。
颯太:んで? その人がどうしたの。
朝美:あ、んでね、その人目白で個展してて、
朝美:早紀ちゃん友達の付き添いで行く予定だったらしいんだけど、友達ドタキャンで。
颯太:うん。
朝美:渋々一人で行ったら、そこで出会って意気投合だって。
颯太:へー安いドラマ1本書けそう。
朝美:でしょ? すごいよね~。
颯太:せんべろで口説いた俺と大違い。
朝美:自分で言わないで。
颯太:(笑う)。
朝美:あ、それでね、写真撮って~ってお願いしたら、いいよーって言われた!
颯太:何? 朝美の写真?
朝美:一人で撮るわけないじゃん。遺影じゃあるまいし。
颯太:笑えねーんですけど。
朝美:笑うとこそこは。
颯太:あははははは(棒読み)。
朝美:なにその乾いた笑い。
颯太:笑うとこって言われたから。
朝美:もう。……ってかそうじゃなくて!
朝美:早紀ちゃんの彼氏がね、私たち二人の写真撮ってくれるって。
颯太:へー。
朝美:えーなんでそんな反応薄いの?
颯太:あんま写真得意じゃないの知ってるだろ。
朝美:あぁ……。まぁ。
朝美:でもほら折角プロが撮ってくれるって言ってるし、撮ってもらおうよ~。ね?
颯太:……撮りたいな~、写真。撮りたいな~。
朝美:もーすぐバカにする!
颯太:あはは、まぁ写真くらいいいけど。
朝美:ほんと?
颯太:うん。
朝美:ありがとー。ふふ。まずはそのぼさぼさの髪切らないとだね。
颯太:はぁ? これはぼさぼさじゃなくて、この長さにしてパーマかけてるの。
朝美:えー。そうなの?
颯太:「そうなの?」って今までぼさぼさだと思ってたの?
朝美:うん。
颯太:うんって……。
朝美:うーそー。パーマかけてるの知らないわけないじゃん。
颯太:はぁ?
朝美:(笑う)。
颯太:ったく……。
朝美:あ、そーだ。お義母さんたちにもお土産買って帰ろ。何がいいかなぁ~。
颯太:てきとーにその辺の饅頭で良いんじゃん?
朝美:(笑う)、温泉じゃないんだから……。
颯太M:彼女は、私のことなんて忘れて生きろと言うくせに、写真を撮ろうと言った。
颯太M:その残酷さに、気付いているのだろうか。
朝美:颯太、ねぇ……。
颯太:……。
朝美:颯太ってば。
颯太:あ、ごめん。ぼーっとしてた。
朝美:大丈夫?
颯太:うん。
朝美:やっぱり運転疲れた?
颯太:大丈夫だよ。
朝美:そっか。……ねぇ、颯太。
颯太:んー?
朝美:すごいね、桜。天国みたい。
颯太:……あぁ。
朝美:ねぇ颯太……。
颯太:んー?
朝美:最近ちゃんとご飯食べてる?
颯太:食べてるよ。
朝美:昨日は?
颯太:え?
朝美:昨日は、何食べたの?
颯太:……。
颯太M:これは、夢だ。
朝美:ねー、ちょっと痩せたんじゃない?
颯太:……。
颯太M:春の鎌倉でこんな会話はしていない。
颯太M:これは、俺が見ている、都合の良い夢だ。
朝美:元々ひょろひょろなんだから。ちゃーんと食べないとだめだよ。
颯太:……。
颯太M:俺の妻は、酷く薄情な女だった。
颯太M:自分だけ都合よく何もかも忘れて、俺に忘れろと言い残し、去年の暮れに死んだ。
朝美:颯太~、聞いてる?
颯太:……。
颯太M:朝美は、死んだ……。(徐々に泣く)
颯太M:俺を忘れた彼女に、何度も、何度も、何度も何度も自己紹介をした。
朝美:んも~颯太?
颯太:死んだんだ。
朝美:え?
颯太:朝美は、死んだんだよ。
朝美:……。
颯太:……なぁ、朝美。
朝美:なぁに?
颯太:……朝美。
朝美:なぁに、何回も呼ばなくても聞こえてるよ。
颯太:朝美……。
朝美:……なぁに。
颯太:味がしないんだ。
朝美:えー。どうしたの風邪ひいた?
朝美:また酔っぱらってパンツで寝てたらだめだよ~?
颯太:うん。
颯太:……朝美。
朝美:なぁに?
颯太:書けないんだ。何も……。
朝美:春の鎌倉は?
颯太:書けない。
朝美:どうして? こんなに綺麗なのに。
颯太:書けないんだ。
朝美:食い倒れツアーとかでもいいんじゃん?
朝美:しらすの釜めしに、小町通りのお団子、あと、クレープに……他に何食べたっけ?
朝美:あー、それから寝坊した話も書けば?
颯太:……書けない。
朝美:書いたら後悔とか色々忘れる~って言ってたじゃん。
颯太:書けないんだよ!
朝美:……。
颯太:……書けないんだ。
朝美:じゃあ新しい仕事探さなきゃねー。
颯太:……もういいんだ。
朝美:えー。
颯太:……もう、いいんだ。
朝美:……。
朝美:ねぇ。颯太。だめだよ。死んだらだめ。
朝美:だって私今こっちでいい男探してるんだから。勝手に来ないで。
颯太:……薄情だな。
朝美:でしょ。だから……だからさ、(颯太食い気味に次のセリフ)
颯太:また忘れろって言うのか? 無理なんだよ!
朝美:……。
颯太:忘れたくてもさ、忘れようとしたってさ。無理なんだよ……。
颯太:朝起きたら、また下手くそな料理してんじゃねーかなって。
朝美:うん。
颯太:文字書いてても、売れない脚本家って言って、お前が笑うんだよ。
朝美:……。
颯太:都合よく自分だけ全部忘れて、それで、忘れろってさ、俺の気持ちはどうすんだよ。
朝美:ごめん。
颯太:……。
朝美:ごめんね。
颯太:ほんと、勝手なんだよ。
朝美:……ねぇ、颯太。私酷いこと言ったね。忘れろ~って。
颯太:うん。
朝美:ごめんね。
颯太:うん。
朝美:思い出にしてね~って言えばよかった。
颯太:……。
朝美:忘れようとしたって、忘れられないもんね。
朝美:でもさ、きっとそのうち、思い出になるから。
朝美:だってさ、生きるってそういうことだもん。
朝美:色んなこと手放していくの。楽しいことも、辛いことも……。ちょっとずつ、ちょっとずつ。
朝美:だから、大丈夫。
颯太:うん。
朝美:ねぇ、颯太。
朝美:私覚えてるよ。何回も、何回も言ってくれたこと。
朝美:君は……。
颯太:君は鈴木朝美。俺の奥さん。
朝美:うん。
颯太:合理主義で、要領がいい、稼ぎも文句なしの、元キャリアウーマン。
颯太:好きなものは、俺の作った甘い出し巻き卵。
朝美:うん……。
颯太:それから薄情で、ひどい女。
朝美:……(笑う)でしょ? だから、思い出にして。
朝美:大丈夫。ちゃんと、思い出になるから。大丈夫。
颯太:……。
朝美:忘れろ~なんて言って、ごめんね。
颯太:うん。
朝美:勝手に忘れてごめんね。
颯太:……うん。
朝美:颯太、ありがとうって、ちゃんと伝えなくてごめんね。
颯太:……うん。
颯太:朝美……。
朝美:ん?
颯太:天国ってこんな感じだった?
朝美:うーん。どうだろ、まだ内緒かなぁ。
朝美:お爺ちゃんになった時のお楽しみ。
颯太:そっか。
朝美:うん。
朝美:あーそう言えば、朝顔やっぱだめだね。
颯太:……?
朝美:だって、忘れられないもん。思い出にはできるけど。
朝美:やっぱり颯太は売れない脚本家だ~。
颯太:ばーか、元々思い出にするって意味で書いてんだよ。
朝美:……そっか。じゃあ天才だ。
颯太:……ごめんな、朝美。
颯太:忘れろって言ったのも、優しさだって分かってたんだ。
朝美:うん。
颯太:分かってたんだ、ほんとは……。
朝美:うん。
颯太:……。
朝美:残される方が辛いから、だから前を向くために、僕は君を忘れて生きていく。
朝美:『十月の朝顔』、鈴木颯太。ね? (背を押すように)
颯太:……よくまんま覚えてんな。
朝美:だって、ファンだもん。
朝美:君は、鈴木颯太。私の大好きだった人。
朝美:職業は、天才脚本家。
颯太:……うん。
朝美:もう、大丈夫?
颯太:うん。
朝美:そっか。それじゃぁ、そろそろ行くね?
颯太:……うん。
朝美:ばいばい。颯太、ありがとう。
0: 間。
颯太M:春の鎌倉が繋いだ彼女との時間は、夢か現(うつつ)か幻か。
颯太M:雲一つない真っ青な空に、桜が舞った。
颯太M:
颯太M:人は、大切なものほど、忘れることなど出来はしないのだ。
颯太M:楽しいことも、辛いことも、ひとつひとつ、手放して、思い出にして。そうやって生きていく。
颯太M:
颯太M:写真の中の彼女は、今日も楽しそうに笑っていた。いつかこれも思い出になるだろう。
0: 颯太、写真を見ながら。
颯太:なぁ、朝美……。
颯太:今年ももうすぐ、春がくるよ。
/: 『夢か現か幻か』 完