書評・コラム

『十月の朝顔』と『夢か現か幻か』についてあとがき

さて、ついこの間ですね、十月の朝顔のシリーズ『夢か現か幻か』放出しおわったのでつらつらnote第3弾書いていこうかな~と。

もともと春の鎌倉は書く気で構想していて。春頃に書き終わればいいや~と。如何せん気分屋なので、書くって言って嫌になってしまうパターンもあるし口にはしていなかった感じです。

颯太が朝美に寄り添う『十月の朝顔』

朝美が颯太に寄り添う『夢か現か幻か』

になっています。

とりあえず先に言いますが、大事な人には生きてる間に言いたいこと言いましょうね。フィクションだから2部にしましたが、リアルは死んだら終わりですんで。それは突然かもしれないし、突然じゃないかもしれない。言葉にしないと分からないから伝えられることは伝えましょ。はい。

毎度書いてますが念のため。私の作品については作者解釈=正解ではありません。文字から受けとった印象で解釈してもらって構いません。それぞれの感性を大事にしていただきたいですし、聞き手が面白いと感じるように作品を表現する一つの材料になればと思います。

ゆるゆるで書いていきますが、悪しからず。

病気のモチーフは……

朝顔は大恋愛と美丘のオマージュなのですが、美丘の方により影響を受けています。朝美の病気はっきり書いてないのですが、クロイツフェルト・ヤコブ病をモチーフにしています。

クロイツフェルト・ヤコブ病は、発症時はめまいや立ちくらみ、物忘れなどといった軽度の症状が出現します。これらの症状だけではすぐにクロイツフェルト・ヤコブ病を疑うことは難しいですが、ヤコブ病の特徴としてこれらの症状が「急激に進行する」という点があげられます。症状が進むと高度の認知症症状やミオクローヌスという突然短時間の筋肉のけいれんが起き、言葉も出てこなくなります。発症後6か月~1年ほどで無反応の寝たきり状態となり、1~2年で肺炎などの合併症を発症し、死亡に至ります。 健康長寿ネットより引用。 https://www.tyojyu.or.jp/net/byouki/ninchishou/jakob.html

病気ものって非常に難しいなと思っていて、それこそ高度認知症って、糞尿巻き散らかして壁にすりつけるとかそういう次元なわけで。それに寄り添うって、もう早く終わってくれと思う瞬間が絶対あるし。書くにしたってあくまで作品であるという点を配慮しなきゃだし。

作者が作中で病名を出すのであれば、よりリアルに書く必要があって。中途半端に放出するもんじゃないなと思っているので、どの病気ですか?って聞かれれば私の返答は、どれですかねぇ……、っていうスタンス。(書いちゃったけどそういうことにしておいて欲しい)

朝顔放出するときはだいぶ尻込みしました……。倉庫のゴミにしかけたし。出しなよ、って言ってくれた友人方に感謝。

朝顔は一方通行

朝顔の朝美は、颯太に寄り添っているようで、寄り添えていなくて。死んでしまった後の颯太のことをすごくすごーく考えているのに、それを忘れてねって終始表現しています。

個人的に朝顔が自作としてそんなに好きじゃなくて(なので改稿もなかなか進まない)、鎌倉で回収というか颯太側完結させようと思っていたので、朝顔っていい話風に見せかけた別によくもない話であって。女性側の独り善がりというか。なので夢現がないとやっぱり朝顔好きじゃない。

きっと自分も忘れてしまうからなんだろうけど、忘れてね~言われた側って、とても悲しいと思う。例えその意味合いを汲んだとしても、言葉にしないと分かんねーよってやつ。結婚して間もないとはいえ、設定上夫婦なくせに、本当にこんな歩み寄りをしない関係性のままなのかなって思うのです。が、この二人時間がないんですよね。

朝美が朝美ではなくなるまでの時間

って、おおよそ半年くらい。

半年前ふっと思い出してみてほしくて。

半年前にやろうと思ったこと、今日までにどれだけ実行できました?大人になればなるほど、時間ってあっという間で、死がそこに迫ったからって急になんでもかんでも出来るようにはならんと思うのです。

冬の練馬で帰り道がわからなくなってから、夏に病室で寝たきりになる。

作中では書いていませんがこの先は無反応の寝たきり。入院前にはきっと、ご飯をこぼしたり、トイレが上手くできなかったり、人として当たり前にできていたことができなくなっていたはずで、ここまでたったの半年。

朝美の性格の特徴である合理主義って、先がないものと向き合うのすごい嫌なんですよね。時間の無駄でしかないですから、そんなもんにいちいち自分の時間割いてまで付き合ってらんない。言葉すごくきついですけど、朝美は颯太にそれをさせてしまっている。本来それが嫌で嫌でしょうがないという価値観の持ち主であるのに。

別れて颯太を自由にしてあげたい気持ちも、傍にいてほしい気持ちもどちらも本物であって、そこと葛藤しながら生きていく。葛藤するにしたって半年しかない。それがふっと爆発するのが、朝顔の言い合いのシーンで。

「私みたいなの背負う必要ない」

になるわけで。朝美は母親には相談していたんでしょうね。

これって死んでしまうからや忘れてしまうから、もあるけれど、33歳で普通にできたことができなくなってしまうそういう辛さも入っていて。

本格的に体も自由に動かなくなってきて、自分が自分であるまま死ねない恐怖と、それを世話させることへの罪悪感と。結婚して間もないパートナーに介護させなきゃいけないっていう視点があるわけで。33歳だし感情任せに怒るのとまた違う何かなんだろう。

ちなみに朝美の特大モノローグは颯太には何も伝わっていない。物語として聞いてる方はなるほど、朝美はそういう表現の優しさを出したのかとなって、物語としての落としどころを得ますが、颯太は察することしかできないわけで。

朝美はありがとうを伝えないまま忘れてしまうという選択をしています。「伝えてしまったらきっと颯太は私のことを忘れられなくなるだろうから」みたいなやつですね。

朝美のモノローグ閉め、

残される方が辛いから、だから前を向くために、僕は君を忘れて生きていく。十月の朝顔 鈴木颯太

その名前も、存在も忘れてしまうから、

朝美が彼という存在を噛みしめている。そして手放す瞬間でもあり、颯太が自分を忘れてくれることを願い、それを覚悟する瞬間でもあり。

個人的にはフルネームで呼ぶ、この瞬間がピーク。

もしかしたらこれが朝美にとって彼を彼として認識して、名前呼ぶ最後の瞬間かもしれない。そういう場面。まぁお話として、最後の最後にひょっこり朝美が顔をだして「颯太の作った甘い出し巻き卵」って言ってますけどね。

忘れられて、忘れてねって言われて

そんなふざけた話があるか!

颯太側の気持ちを考えるとそう思うのに、颯太は一歩引いて、朝美に寄り添うように寄り添うように生きていく。

颯太の心情ってどこにあるのか、というと夢か現か~の方にあって。本当は朝美にそんな言い方すんなって、言ってやりたいこといっぱいあったはずなんですね。朝美の優しさを察してやることはできても直接聞いていない。言葉にしないと相手の感情に確証なんて持てないですし。言葉にしてもらっても確証なんて持てないんですから。

颯太の性格って口調が粗いだけで特徴が掴みにくいかと思うのですが、余計な事言わないタイプとも言えます。売れない脚本家って言われてますが、叩かれるくらいには知名度出して、生活水準はさて置き才能で食ってる人なわけで。朝美とじゃれるにしたって、不快にさせないラインで弄ってるわけで。分りにくいですが私からすると朝美よりもキレ者で。

朝美がスペイン行きたいって言った時も、すぐ鎌倉にしない?って返さないで、朝美が無理を承知で言っていることを汲んでいいんじゃんって返してる。

まぁそのあと朝美が颯太にとって面白くないことつらつら言い始めるから、颯太も颯太でちょっと不貞腐れたりして、あんなん書かなきゃよかったって言っていて。

朝顔は駄作だと自分では評価している。おまけに作品と似たように、朝美まで死んでしまうことになって、文字通り彼にとって朝顔は「あんなん」なわけで。それに習ってだから忘れてねって言われることは面白いわけがない。

颯太が言う「あんなん書かなきゃよかった」これって余計な事なんですよね。朝美からしてみればこんなこと言われて面白いわけがない。颯太なりの小さな反抗というか、言われて面白くないこと颯太も言われてるから、面白くないこと投げ返してる。

でも結局言いたいこと飲み込んで、旅行鎌倉にしない?っていう話題転換が入ります。会話ぶつ切りに感じるかもしれませんが、その感覚で間違いないです。颯太がここでぶった切ってます。ここでぶつかってしまえばよかったのに、ぶつからずに丸く終わらせる。丸く終わらせるっていいこともあれば悪いこともある。

朝顔と夢か現かの間

この先の項目

・夢にするか現にするか
・颯太難しいよな~
・なぁ、朝美……。今年ももうすぐ、春がくるよ。