約1000文字
ゆうさん(@your_vstp/nana)による朗読が陰であり鬱であり、大変素晴らしかったのでぜひ合わせてお聞きください。スマホの場合「Listen in browser」を押すとブラウザ上で聞けます。
後からテキストちょっと修正してしまったので朗読と少々違う部分ありますが、本当に素晴らしい朗読です。感涙。
人間なれど/筆先ちひろ
壊れた鍵盤のよう、とでも言うのでしょうか。次へ次へと正しい音が鳴らなくなり、次第に奏でるものは不協和音へと。私というのはそのような者のように思うのです。
しかし、夜になれば、つーっと一雫。まるで人間かのように涙が溢(こぼ)れるのです。なれど私は人間ではない。昼に目を開け眺めるその世には、私の居場所など、何処にもありはしないのです。
本来の私はこんな者にはございません。
華々しく地位、名誉、名声、金、友、何もかもを手にしているはずでございました。時折見かける、窓に映る私の皮を被ったあれは、何者なのか。私はただ普通、一般、並、それらが嫌で生きていただけなのに、いつの間にやら畜生へと成り果てました。たかだか普通にもなれないこの畜生は、矮小でがらんどうで。しかしそれでいて自分の終わりを決めることも出来ない畜生にございます。
畜生らしく、考えることすらやめてしまえばいいものを。今日もまた、昼に目を開け世を眺め、夜には一雫ばかりの涙を流すのでしょう。悍(おぞま)しいことです。それはまるで、人間になりたいと申しているのですから。
初めて鍵盤が壊れたのはいつのことでしたか。それまではよく出来た子だと、頭のいい賢い子だと言われておりました。ある日ふと足腰が立たなくなり、まず一日、もう一日、そして三日目、四日目にもなりますと、人間を気取って自責の念のようなものが襲い。その傍らそれすらも煩わしくなっているのでした。
みな我慢して生きている。母は言います。そうまでしてなぜ生きなくてはならないのでしょうか。この空虚を。普通などという醜いものを。しかし可笑しいことで、終わらせることもまた、出来はしないのです。
春を過ぎ、夏を過ぎ、秋を過ぎ、冬を過ぎ、気が付けばまた春にございます。部屋の中にある畜生には季節の移ろいなど分かるはずもなく、時折感じたそれに酷く虚しさを覚えるのみでした。
本来の私はこんな者にはございません。
ならばここに居るのは何者なのでしょう。いつから私の皮を被り、私のふりをしてそこにいるのでしょう。本来の私は、上手く笑い、上手く話をし、上手く場に馴染み、上手く我慢をし、生きていたではありませんか。たったそれだけが出来ないこの畜生など、死んでしまえばいいものを、それすら出来ず鳴くのです。悍ましいことです。壊れた鍵盤のように、もう美しい音を奏でることなど出来はしないのに、それは夜な夜な、きぃきぃと醜い音で鳴くのです。あれはいったい何者なのでしょう。